東京・大阪などの大都市圏にお住まいの方々は、すでに身近な人のコロナ感染はそれほど珍しくなくなっているのではないだろうか。筆者もさいたま市在住時代に仲良くしてもらった近所の方が一昨年の第3波のときにコロナ感染したということを聞いて、驚いたものだった。ニュースで感染者数を知るより、実際に住んでいた街までもう感染が到達したことのほうが、衝撃が大きかった。
今のオミクロン株の感染者数は、過去の「波」を軽く凌駕しており、ここ宮崎でもオミクロン株の猛威とは無縁ではなくなってきた。
上の娘の通う高校では、冬休みに帰省していた寮生が感染に気づかず寮に戻り、寮内で数人の感染者が確認されたことで、1月末まで臨時休校となった。3年生は1月末の共通テストまで最後の追い込みという段階で学校の授業がなくなり、自力での学習を迫られた。
大変なのは、寮生とその保護者である。感染していなくても、寮が閉鎖されたため、遠方からの通学者はそれぞれの家に戻るしかない。公共交通機関を使わないよう指示があったため、他県から保護者も車で迎えに来る事態となった。
共通テストまで1カ月を切った段階でのドタバタに、受験生のストレスも相当なものになっただろう。3月1日には卒業式を控えているが、県外からの生徒や保護者は各自でホテル等に前泊して出席することになる。
1月28日には、下の子2人が通う中学校で初めて生徒の感染が確認された。当日は午後から休校となり、保健所が濃厚接触者判定を行なうまで子供たちは自宅待機となった。当日は金曜日であったが、その日のうちに判定は出ず、結局待ちに待って判定結果が出たのが30日、日曜日の夕方だった。保健所では土日も通してずっと対応に追われていたのだろうが、それでも濃厚接触者判定に3日を要するほど、仕事が積み上がっていた事になる。
結果、うちの子供たちは濃厚接触者に該当せずということだが、週明けから3年生のみ時差登校、時差下校となった。
実はその前々日、1月26日は、宮崎県内で1日あたりの感染者がもっとも多い500人越を記録した。加えて26日と27日は、市内私立髙校の入試日だった。市内私立高校は例年、入試日を連続する2日間のうちのどちらかに設定している。それが今年は、1月26日と27日だったわけだ。
受験は、普段合わない人たちと長時間同じ部屋で一緒に過ごす事になる。もちろん学校側も距離を取って席を用意するが、子供たちにとっては試験以外の部分でも戦っていかなければならない。