I am the most famous Japanese in the Republic of Latvia. When I was a graduate student, I lived at Grandma Luchi's house, studying culture, language and songs. What it looked like at that time also became a movie of "Luqi and Yijiang". Please be sure to interview. Neihorie, a staff member of Ancheng Company, Aichi Prefecture, aged 35
Neihori Ijiang talks about Latvian traditional clothing-- Ancheng City, Aichi Prefecture
内堀さんが初めてラトビアに触れたのは、大学4年生だった2008年。日本政府の国際交流事業に参加して訪れた。そこで強い印象を受けたのが、自分たちの民族文化に誇りを持つ同世代の若者らの姿だった。 ラトビアを含むバルト3国は、周辺の強国に翻弄(ほんろう)された歴史を持つ。いずれも当時は、旧ソ連から独立してまだ20年足らずの小国だ。だが「就職活動で頭がいっぱいの日本の若者とは違う」と心を動かされた。 「彼らを引きつける民族文化とは何だろう」。就職はせず大学院へ。文化人類学を専攻し、修士論文のテーマに選んだのが、やはりラトビアだったという。 内堀さんは「ブルドーン」という即興歌を受け継ぐ民族「スイティ」に興味を持った。村長にメールを送って民謡合唱団「スイトゥシエバス」(スイティ婦人たち)への加入を頼み、現地に飛び込むことにした。 首都リガから車で4時間のアルスンガ村に到着すると、みんな日本人を見るのは初めて。いぶかる人が多い中、内堀さんを預かってくれたのは、合唱団のリーダーで当時80代の女性ルッチさんだった。09年から3年間続くことになる、ユニークな同居生活が始まった。 村の生活は自給自足が基本で、携帯電話の電波は届かない。内堀さんはルッチさんと畑を耕したり、牛の乳を搾ったり。森ではキノコやベリーを採った。ルッチさんは、内堀さんを「メイタ(娘)」と呼んだ。 地元に溶け込む日々の中で、民謡は口伝えで教えてもらった。不慣れなラトビア語に加え、方言がきつく、現在は使わない単語も多いため苦労した。ルッチさんの歌を録音し、歌詞を書き起こして練習した。 1年ほどたった頃、合唱団から色鮮やかな毛織りの民族衣装を贈られた。涙が流れた。「一員として認められた」。地元の教会などでイベントがあると、衣装を着て合唱団に加わり、大勢の前で民謡を披露した。Poster of documentary "Luqi and Yijiang"
そんな暮らしに、ルッチさんの親戚で映画監督のイナーラ・コルマネさんが興味を持った。2人に密着したドキュメンタリー映画「ルッチと宜江」が完成。15年に上映されると、国立映画祭などで受賞し内堀さんは一躍、「ラトビアで一番有名な日本人」になった。 北海道東川町でラトビア国際交流員を務めるアルタ・ボイツェホブスカさん(27)は、大学時代に映画を見た一人だ。「遠く離れた国で文化を学ぶ姿に感動した。(母国で)映画は人気があり、今でも毎年テレビで放映される」と証言する。 ラトビアの知名度は、日本では高くない。内堀さんは今、育児休暇中の合間に知人と立ち上げたラトビア産ハーブティーのブランド「ライマ」の発送作業などを手伝っている。将来は、ラトビアの文化を発信するカフェを開くのが夢だ。 「受け入れてくれたラトビアへは、感謝しかない。日本の人に知ってもらうことが私の使命だと思う」 ◇I was doing a street event called "people who praise 100 yen" in front of Nagoya station. In order to "bring you happiness by conveying charm you don't notice". I think it is helpful to young people and people who feel that life is difficult. Please interview me if you can. = College students in Aichi County (20)
Mr. Walker who carries out praise activities on the road-- in front of Nagoya Station
11月初め、名古屋駅前の路上。「あなたに褒めと幸せを届けます」。手作りの看板にはそう書いてある。1回100円。通り過ぎる人々が、物珍しそうに知歩さんに視線を投げかけた。 20代の男性会社員が「お願いします」といすに座った。軽い世間話で緊張がほぐれた頃、知歩さんが尋ねた。「大変なこと、ありますか」。男性は考え込み「妹が留年していたと最近分かって。励ましに行くべきか…」と悩みを漏らした。 知歩さんは「自分のことでなく、家族を心配できるのがお兄ちゃんとしてすごい」と笑顔で褒め、付け加えた。「特別なことをしなくても、気にしていると伝われば十分だと思う」 表情を幾分和らげた男性は終わった後、私に「最初から肯定してもらえると分かっている分、安心して話せた」と感想を語った。 街の人の反応はさまざまだ。悩みはなくても興味半分で話し掛ける中学生や、「頑張って」と100円を手渡して去るお年寄りもいた。 「プロ褒めリスト」を自称する知歩さんが、活動を始めたのは昨年11月18日。実はそれまで、大学や勉強にうまくなじめず休学していた。同じ境遇の「100円で路上で歌う歌手」と会員制交流サイト(SNS)上で知り合い、自分も何かやりたいと考えるように。「100円で褒めてくれる人がいたらいいな」と思いつき、路上に立つことにした。 喜ぶ客を見て「自分の自信のなさが生かされる道がある」と感じた。月1回、路上に立つ。今年10月からは名古屋市の金山駅近くのレンタルスペースで50分間、一対一でじっくり褒める活動を始めた。こちらは1回4000円と安くはないが、需要はあるという。 相手よりも目線が低くなるように座り、笑顔を絶やさずに「話したい」と思ってもらうことを第一にしている。「ある人にとってのコンプレックスも見方を変えれば魅力になったり、悩みは自分のせいではないと気付いてもらえたりする」。話すことで肩の荷を少し下ろしてもらいたい、と願う。 挫折の中で活動を始め「自信を持ってやりたいことをやっていると言えるようになった」と知歩さん。今では市内のコミュニティーラジオでパーソナリティーを務める。活動を続け、将来は「褒める部屋」というカフェを開くのが目標だ。 ◇ 今回、紹介した内容は29日午後4時50分から放送の東海テレビ「ニュースOne」でも報道されます。番組を視聴できない地域の皆さんは同日午後8時以降、番組ホームページの特設コーナーで関連動画をご覧いただけます。Related keywords
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